おかあさんのあり方

少し前の話題になりますが、絵本作家の「のぶみ」さんが作詞した歌が話題になりましたよね。


http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/04/atashi-okaasan-dakara_a_23352738/


あの歌について思ったことを言語化しておきたいな、と思ったのでつらつら書きます。


まず、この歌のおかあさんのあり方は決して否定されるべきものではありません。

時代に即した母親像ではないことは確かです。主流という言い方をすると語弊がありますが、ざっと30年前頃はこんなお母さんが「できるお母さん」としてもてはやされていたのではないでしょうか。

もちろん30年前のお母さんの中に「子どもを産んでも仕事や趣味を頑張りたい」「わたしの人生の主役はわたし!」と考えて行動していた人もいたでしょうが、そういう人は世の中的にどう評価されていたのかしら。


おかあさんのあり方は多様化して、これが正しいものだ、正道だというものは現在はないと思います。それぞれどんな風に生きるか悩みながら子どもと向き合っている。

その中に、子育てとハウスキーピングに打ち込むおかあさんもいる。

そこは否定されるものではない。


ただ気持ちが悪いのは、あの歌詞が、やりたいことをやる責任を「自分ではないなにか」に転嫁しているように思えるところ。

子どものため、というのはうつくしく見えるけれど呪いでもある。


あと「おかあさん」が多様化してるところに限定された現状マイナーな「おかあさん」像を打ち立ててきたのは、なんというか、のぶみさんの「おかあさん」像がこうだったのかしら……